平成6年(1994年)春、大阪は西区・川口安治川沿いの倉庫を改造したスペースに数人のメンバーが集まった。
長らく大阪のまちづくりを実践し、メーカーとクリエイターをつなぐチャレンジに取り組む面々である。
「まちづくりをイベントや提言ばっかりやなく、なんか具体的なアクションにでけへんやろか?」
夜な夜な集まり知恵とアイデアを出し合う。デザイナー・学識者・商業者も加わりその輪は徐々に広がっていった。彼らは、多くの市民イベントや商店街活性化に関わった経験から、継続性と収益性の追求を意識した。
「儲けるだけではアカン、文化や社会性にもこだわらな・・・」。そんな議論の中心にあるものは、もちろん「わが街・大阪」であった。
阪神間を襲った不幸な大震災の影響もあり、予定より遅れて平成8年4月、「なにわ名物開発研究会設立準備会」がミナミ法善寺の料理屋で行われた。
この頃には、準備段階から加わっていたさらに多彩な業種、業態のメンバーが30人ほどに広がっていた。「なにわ」にこだわり7月28日を設立総会の日と決定(当日は日曜日で7月29日〜なにわが一番〜と洒落て開催)。
大阪で初の異業種ネットワーク「なにわ名物開発研究会」のスタートである。
業種、業態はもとより様々な異分野のメンバーが「大阪を元気にする」という旗印のもと、多くの変人(変革の志の人たち)が集まる。「いちびりとはんなり」「しなやか・のびやか・ゆるやか、そしてしたたかなネットワーク」 ・・・時代を先取りするキーワードだった。
『大阪固有の地域資源を活用』『文化の仕掛けで客を呼ぶ』『私たち一人ひとりが主役』・・・さまざまなメッセージを投げかけ、大阪の魅力・元気づくりに取り組んでいった。設立翌年からはじまる「なにわ大賞」では、大阪の活性化に取り組む100人近い「大阪一のいちびりさん」との出会いを実現。授賞式(贈呈式)を「も〜て〜式」としたネーミングにこの会のスピリッツが凝縮されている。
「ほんまもん」が減り「失われていくもの」が増える流れの中、なにわ名物開発研究会への期待は、ますます大きくなっていく。「あんじょうしいや!」の心を忘れずに大阪への愛着と誇りを堂々と詠い、成果を求めて楽しくも真剣にいちびっている会であり続けたい。
平成20年2月
なにわ名物開発研究会 会長 野杁育郎
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